アポロニア21
編集長コラム2019

9月号

10年ほど前、本誌にはいわゆる「韓国ネタ」が毎回のように掲載されていました。当時、口臭治療研究でのアジア諸国のアライアンスが進んでいて、日本の本田俊一氏(大阪府開業)と韓国の壇国大学校(予防歯科)が、その中心になっていました。

また、歯科医院らしくないサービスと独自のフランチャイズ戦略で急成長していたYe歯科グループなど、医院経営のモデルでも注目される話題が多数ありましたし、電子カルテ、レセ電算化の導入などは日本よりも先駆けて進んでいました(脱税対策の意味も大きかったのだとか……)。

現在、日韓ともに輸出管理の厳格化を行うなど、緊張関係というよりある種の敵対関係にまで進んでしまっている両国ですが、どこかに落としどころはあるのでしょうか。

私は、ハングルの道路標示などは全く分からないのに、ソウル旧市街で道に迷ったことがありません。周囲には「前世は韓国人だったのでは?」などと言われるのですが、実家のある奈良市がソウル旧市街と同様、条里制の都市区画を一部にせよ残しているためではないかと思います。その証拠に、街の雰囲気が違う新興エリアの江南区では全く土地勘がなく、道に迷った末にパトカーでホテルまで連行(?)されたこともあります。

また、空港と中心部を結ぶ連絡バスに酔っぱらって乗車。そのまま爆睡し、2度も往復したことは複数回に及びます。「気持ち良さそうだったので起こせなかった」のだとか……。

このように、普通の海外出張ではあり得ないほど緊張感を覚えないのが韓国の特徴といえますが、この「外国と思えない」という感覚を日韓両国で抱き続けてきた結果が、現在の対立なのだとしたら、今の状況はきちんと外国同士になるための試練なのかもしれません。とはいえ、韓国には尊敬する先生や親しい友人も多く、今のような対立が一日も早く収まることを願ってやみません。

今月号は、個別指導に関する話題を取り上げました。かなり状況が改善されてきたともいわれますが、まだまだ課題も多く、今月はこれらの解消や対処法に切り込みました。

(水谷)
8月号

先月号の「安田編集室」を読んだ方から励ましの言葉をたくさんいただき、深くお礼申し上げます。声の問題はさておき、食事の時は嚥下に少し苦労しています。時間がかかるだけでなく、汁物がないと固形物が飲み込みにくいのです。

そもそも日本人は、食事に汁物がないと困る国民性のようです。古くは、ルイス・フロイスの『日欧文化比較』(1585年)に「日本人はスープがないと食事ができない」と書かれており、19世紀の幕末期にも、食事中、何度も汁物が出てくる日本食に驚いた記録が残っています。

フロイスが記録を残した戦国時代はともかく、幕末期の外交使節が味わった日本食は本膳料理だった可能性が高いため、汁物が何度も出されるのは不思議なことではありません。本膳料理の場合、「澄まし汁=お酒スタート」「赤だし汁=お酒ストップ」など、お酒とご飯のタイミングを決める合図としても意味があるためです。

今では、本膳料理などを出す店はなく(あっても極めて高額なはず)、食事中に汁物が何度も出されることはまずありませんが、やはり、どんな安価な定食でも、みそ汁は欠かすことができません。

今や、汁物が欠かせない身体になった私は、みそ汁お替わり自由のランチを探すのが、取材先での楽しみの一つになっています。

家でも、冷蔵庫の野菜室を覗いては、「この具材なら赤みそで」「夏らしくカレースープにしよう」などと、日によってバリエーションをつけて料理しています。

ただ、汁物に限らず、日本人の食生活に水分摂取量がやたらに多いのは確かなようで、訪問先でトイレを借りるマナー違反の原因でもある、との指摘もあります。

今回は、前回に引き続き受付・助手の業務に関する話題を集めてみました。「安田登編集室」でも、歯科助手の地位向上と業務内容の確立に取り組んでいる澤泉仲美子氏を迎え、「歯科医院のキャッチャー役」としての歯科助手の在り方を提案していただきました。安田先生とともに、今まで考えたこともなかった視点に驚かされました。ご一読いただければ幸いです。

(水谷)
7月号

先日、「エストニアのスタートアップ企業が、次々と日本企業の訪問を拒否」とのニュースがありました。エストニアは旧ソ連時代、共産主義諸国の情報管理の中心で、ソ連崩壊後は世界最先端の情報技術を生かして、いち早く電子政府を実現し、さまざまな産業も誕生しています。

今回の「日本企業出入り禁止」は、日本特有の企業文化が、国際的に見て明らかに時代遅れになっているためだとされています。

急成長を遂げているエストニア企業は、限られた人材で最大限のパフォーマンスを上げています。そんな現場に、「ちょっと情報交換」などと物見遊山気分で大勢で訪れる日本人が、他人の時間を奪う存在として敬遠されているのです。彼らにしてみれば、事業を進めるための打ち合わせならともかく、ただ名刺交換して写真を撮って帰る人たちの相手など時間の無駄、ということです。

リーマンショック以降の不景気な時期、歯科にも名だたる大企業が参入の可能性を模索しており、編集部にも「情報交換」のために訪問する方々がいらっしゃいました。しかし、歯科界の特殊性もあり、具体的な事業を推進するまでにはなかなか至らず、ほとんどが撤退しています。

現在、日本の社会を活性化させるための方策として、働き方改革や最低賃金アップなどにより労働生産性を上げることが提案されています。そのような変化に耐えられない零細企業が多いことが阻害要因とされていますが、大企業にも、無意味で大げさな企業訪問など、生産性を下げる要因があるということでしょうか。

最近、編集部のミスにより、執筆者や取材協力者の方にご迷惑をおかけする事態がいくつかありました。共通する問題点は、縦横の情報共有や意思の疎通がうまくいっていなかったことです。根本的な事案ですので、早急に対策を取るつもりです。関係の方々には、大変申し訳ありませんでした。

今回と次回は、受付・待合を医院デザインから人材活用までの広い視点で捉える企画です。特に受付は、人手不足の今日、歯科医院の中で労働生産性を最も問われる領域かもしれません。

(水谷)
6月号

3月初旬から4月末まで、少し長めの入院生活をさせていただいたおかげで、今月号では、私はあまり記事執筆や編集の業務をしておりません。特集の企画もインタビュー主体ではなく、先生方の執筆が中心となっています。ご協力いただいた執筆者の皆さま、本当にありがとうございました。

今回は、高齢者・障害者への関わり方を第一線の臨床家に伺うという趣旨でしたが、私も手術の結果、発声機能を失って障害者の認定を受けた身であり、患者としての視点でこの企画を見ることができました。

「障害がある」というのは、健常者が持っている心身の機能の一部が低下、もしくは欠損している状態のことを指します。そして多くの場合は、そのことが日常生活や仕事の上で何らかの不便さを伴います。別に、障害者認定を受けた人や寝たきりの高齢者でなくても、重い荷物を持っていたり、言葉の通じない外国などで、誰しもそのような環境に置かれることがあります。

私の場合、家や職場、お店などではメモ帳を使った筆談で意思疎通を図っていますが、手術前に思っていたほど不便を感じていません。もともと記者・編集者という職業上、発声機能を失っても、職業上の必須能力である読み書きに支障がない上、日常のコミュニケーションのかなりの部分が、メールやSNSといった文字媒体に移行しているからではないでしょうか。

長期入院中、全くといっていいほど、自分が障害者であると自覚する必要がなかったのは、周囲の病院スタッフが私と同じような状態の患者さんと接するのに慣れていたからだと思います。そのため、退院後、さまざまな場で不便さを実感するようになりました。

とりわけ、周囲から過剰に反応されると対応に戸惑うことがあります。「声が出ない」ということを筆談で伝えると、急に身ぶり手ぶりが始まったり、中には英語で話し掛けられたこともありました。シームレスな障害者・高齢者対応とは、必要最小限の配慮で済ませることではないかと感じます。

過剰に反応して、何でもバリアフリーにするなどよりも、さりげなさがお互いにとって気持ち良いはずですが、それには、ある程度の慣れが必要なのかもしれません。

(水谷)
5月号

世界三大宗教といえば仏教、キリスト教、イスラム教。サウジアラビアのDar Al Uloom大学のエンド学准教授であるFayez Niazi博士らがヨーロッパ歯科学雑誌(2016年)に掲載した論文によれば、イスラム教の開祖・預言者ムハンマドは、弟子たちに口腔の健康の重要性を伝え、「ミスワーク」(歯木、チューイングスティック)として用いられる数種類の天然木を教えたそうです。

Niazi氏らは、ミスワークに含まれる各種成分の効用をクロルヘキシジンなどと比較。それらの医薬用殺菌薬に引けを取らない抗菌効果や根管洗浄効果があることを解明しました。ミスワークは、どこにでもある小枝を使うためコストが掛からないなどの利点がある一方、舌側のブラッシングが難しいなど使い方にコツが要るという欠点があるようです。

現在も、鉛筆大に整形したミスワークの端を噛んだり、歯をこすったりする習慣が西アジアを中心に残っていますが、前近代の日本でも楊枝はミスワークそのものでしたから、ミスワークを噛むのはかなり普遍的な文化だったといえるでしょう。

また、仏教では口腔の清浄が重視されていたことはよく知られていますが、キリスト教はあまり旗色が良くないようです。しかし、現在「歯科先進国」とされるのは、いずれもキリスト教国。それらの地域で、イスラム圏などからの移民の増大が、歯科保健上の問題として浮上してきているのは、何とも皮肉な感じがします。

この論文を紹介してくださったのは、広栄社「つまようじ資料室」の管理人・稲葉修氏。古今東西のオーラルケア習慣について多数の文物を収集、整理してきました。加えて、地場産業である楊枝をオーラルケアグッズとして位置づけて需要拡大させるなど、卓越したビジネスマンでもあります。

今回は、承継と相続を特集しました。個人事業の税制が改正されたことなど最新の制度変更についても触れましたが、承継や相続に詳しい専門家の誰もが、「普段からの人間関係、本人の覚悟、相手を思いやる心が大事」とおっしゃっていたのが印象的でした。承継・相続には、経営に関わる全てが凝縮しているようです。

(水谷)
4月号

このところ、少し鎮静化した感がある厚生労働省を中心とする統計の不正問題。

統計の不正は、単なる事務の不手際から、統計専門家の不足など組織上の問題、さらには上部機関への忖度や部門間の無意味な競争などによって深刻化していきます。公共部門による統計の不正は、もちろん政策決定などにマイナスの影響を及ぼしかねないものですが、事態が進むと極めて重大な結果をもたらすことになります。

中国が1950年代末から60年代初頭に経験した、大躍進政策によるとされる飢餓の背景には、そのような統計の不正があったことが知られています。『毛沢東の大飢饉』(フランク・ディケーター著、草思社)によれば、当時、中国はアメリカの経済を追い越すと息巻いていたソ連へ対抗するために、大衆動員によって鉄鋼などでイギリスの生産力を追い越すと豪語。現実離れした予測を基に過大な目標を現場に押し付けた結果、4,500万人もの餓死者が出る事態になったというのです。

ある生産現場で成果の報告が上がると、他からも競うように報告が上がってきます。これらが積み重なった結果、実は国内には農産品も工業製品もなくなっているのに、「供給過剰になる」との予測まで生まれ、飢餓の只中なのに外国に輸出してしまうなどして、状況が悪化したのです。

一つ一つの統計の不正や見過ごしは大きなものでなくても、積み重なると取り返しのつかない被害を社会にもたらしかねません。歯科においては、「う蝕が減っているのか」「そうでないのか」という基本的なコンセンサスすらあまり確立していない感があるため、統計の重要性は論を待たないのではないでしょうか。

今回の特集は、スタッフマネジメントと働き方改革への対応を重点的に取材しました。働き方改革にはまさに統計の問題が関わっているため、慎重に考える必要があると感じています。

(水谷)
3月号

オリンピック競泳での活躍が期待されていた池江璃花子選手が白血病との闘病を公表。世界中から応援のメッセージが届いています。アスリートは極限まで心身を追い込むので、逆に不調に気付きやすく、早期発見につながった可能性もありますが、いずれにせよ、病気からの確実な快復をお祈りしたいと思います。

池江選手と比べる話でもありませんが、私も昨年11月に下咽頭がんが見つかり、12月に手術をしました。

入院中、「仕事はどうしようか」という思いが頭を離れませんでした。本誌の制作に支障が出る、同僚に迷惑がかかるといった責任感だけでなく、もっと卑近な話で「収入が途絶えるのではないか」という不安も強かったのです。

ちょうど、EUの社会保障改革を推進しているパリ政治学院教授のブルーノ・パリエ氏のレポートを読んでいた際、「公的医療制度が出発した当時、どの国も傷病手当金の支給が中心だった」という記述がありました。

1940年代は医療技術も未発達だったので、医療費支出を手当てするより、病気で仕事ができなくなるリスクを回避する方が現実的だったということです。現在では、多くの病気が治るようになる一方、医療費が高騰。結果、傷病手当金が医療制度の支出に占める割合は、どの先進国も10%未満にとどまるようになっています。

私の場合、会社と同僚がサポートしてくれることになり一安心ですが、条件によっては、なかなか職場復帰が難しいケースもあるのではないでしょうか。そのような場合、傷病手当金が大きな意義を持ちますが、年々、適用が厳格化されつつあると聞きました。

今回と次回の特集で、深刻な人手不足を取り上げます。「景気が良いから人手不足になる」というのがこれまでの常識でしたが、日本の場合、労働生産性が著しく低いという事情もあります。ちょっとした工夫やデジタル技術の活用で、人手不足を補うことも検討に値するかもしれません。

(水谷)
2月号

私の前職は、医学系研究機関で医学の歴史を研究する仕事でした。そのためか、歯科界に身を置くようになって、疑問を覚えることがいくつかありました。

一つが「最終補綴」という言葉。医療は、検査、治療計画、介入、再評価という一連の流れで継続し続けるものと考えていたので、「最終」という言葉を聞いて、「終末期医療で提供される入れ歯のことか?」と思ってしまいました。

「最終補綴」とは、プロビジョナルで咬合や審美性を確認した結果、作品として完成形だと判断される修復・補綴の処置のことだと教わったものの、なかなか納得がいきませんでした。当時、歯科商業雑誌やスタディグループで、美麗な「最終補綴」が供覧されていたのを思い出します。

もう一つは、「予知性」という言葉。これには、修復・補綴物の持ちを予測するニュアンスがあり、インプラント補綴の分野を中心に国際的に用いられています。つまり、「こちらの方が長持ちする」と予想できると、「予知性が高い」と表現されることになります。

どちらも、修復・補綴物の存在を無視しては成り立たない歯科医療の特性だといえますが、ここ数年、歯科医療の業態が明らかに変化してきました。主たる原因は、歯周病が主要対象疾患となり、内科的なアプローチが必須となってきたことだと考えられます。

実際、歯科医師国家試験でも、医科準用の出題内容が目立つようになり、定量的な検査を実施して、再評価で経時的変化を追うという診療の流れが定着しており、時代の流れを感じます。

今回の特集は、器材とグッズについて。LDAリサーチで取り上げられた約160品目のリストには、なじみのある製品、診療に役立つ製品が少なくないのではないでしょうか。「器材選びにコツはない。まず使ってみて、これはいいという直感を大切にする。目利きになるためにはこの繰り返しが必要」という言葉に、重みを感じました。ご一読いただければ幸いです。

(水谷)
1月号

日本歯科医師会が8020運動30周年記念事業の一環として制作した映画『笑顔の向こうに』が、第16回モナコ国際映画祭でグランプリを受賞しました。

事業に関わった先生によれば、「ノミネートされることが当面の目的だったのに、その後、どんどん事態が進行していった。予想外の展開に驚いた」とのことです。本当に、おめでとうございます。

私はこの映画をまだ見ていませんが、歯科技工士、歯科衛生士の仕事の大切さが見る人に伝わるよう工夫が凝らされた作品だと聞いています。歯科医療現場の魅力を多くの人に知ってもらうきっかけになればと期待しています。

現在、深刻な求人難が続く歯科界ですが、求人に成功している歯科医院、法人に共通して、サイトなどを通じて「職場の楽しさ」「仕事内容の格好良さ」を訴求していることが分かります。歯科界全体で見れば、歯科技工士、歯科衛生士という仕事の魅力が、今回の映画を通して発信できれば、さらに優秀で野心的な若手が、歯科医療現場に集まってくることでしょう。

考えてみれば、映画に登場する歯科医師の印象はあまり良いものがないように感じます。

「タービンを握ると人格が豹変する」「麻酔なしに歯を抜こうとする」といったホラー的な描写か、「ミスター・ビーン」に出てくるように「主人公にからかわれてドタバタに巻き込まれる」といった、ちょっと間抜けな存在として笑いの対象となることが多かったように思います。

まして、歯科衛生士・歯科技工士を全面に押し出して仕事の素晴らしさを演出するという今回の映画のような企画は、あまり前例がないのではないでしょうか。

『笑顔の向こうに』をきっかけに、歯科医療が「魅力的」で「格好良い」ものだと認知されることを願っています。

今回は新年に当たって、砂盃清先生、荒井昌海先生、島村泰行先生による医院経営の座談会を掲載しました。約6年前と同じメンバーで、定点観測的に変化を追うことができました。ご一読いただければ幸いです。

(水谷)